洗濯の扉、本日は隔週月曜日に登場する男、横浜の伊藤が担当です。
おめでたい!おめでたい!
2020年の東京オリンピック開催が決定しました。
たった2週間の開催期間だというのに、7年前から決まって準備するんですよ。
どうしてこんなに頑張れるか?
それはオリンピックゲームはもとより、それを起爆剤として何かが変わるから!なんでしょうね。
東京にオリンピックが決定したのは、実は3回目です。
最初の決定は戦前でした。
戦争が激化していく中で、日本がオリンピックどころではなくなって返上したという苦い経験があります。
敗戦でボロボロになった日本が少しずつ立ち直りかけた時に、手を差し伸べてくれたのもオリンピック。
おかげで首都東京のインフラ整備が飛躍的に発展しました。
それは高度成長の追い風ともなって、日本経済は世界屈指に成長する事が出来たのですね。
そして今回。
長引く不況、そして震災。
日本人が再び力を合わせて頑張ろうとしている時にオリンピックが力を貸してくれる。
そんな気がしてなりません。
オリンピックといえば、海外からもたくさんの人が集まってきます。
残念な事に、クリーニング屋さんというのは観光業でではないので、直接関わりは無いのですね。
その代わり、選手のお世話という意味でクリーニングを担当するお店も出てくるでしょう。
昭和39年の東京オリンピックの時、選手達のクリーニングを担当するクリーニング会社があったそうです。
しかし、運営的にはうまくいかなかったようです。
人から聞いたお話なんですけどね・・・
なんでも、人の洗濯物と一緒に自分のものも持ち込み、引き取りはバラバラ。
「預かり証」のようなモノも発行したのでしょうが、そのあたりは外国の方はアバウトで、引き渡し業務もかなりの混乱があったそうです。
当然、お金の支払いも「もらい忘れ」が多く発生したとの事。
ところが、引き渡しのクレームも料金のもらい忘れも皆無だった優良な国家があったそうです。
それはどこだったでしょう?
答え
ソビエト連邦
今はなき、ソ連です。
共産国家の盟主たるソ連では、当然選手のクリーニングも国家で管理されていました。
料金の支払いも一括して国家が支払ってくれたそうです。
今から考えると、そのクリーニング会社もお客さんたる選手達もいい加減だったのかな。
にわかに、この話しも信じられないのですが、業界のこぼれ話としては面白い話しです。
2020年、我々クリーニング業者はどのようにオリンピックに関わっていけるでしょうか。(笑)
楽しみですね。
あ、そういえば・・ 五輪のマークとウールマークって・・・
ぜんぜん似てませんね。(笑)