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外交問題 鶚
洗濯の扉、本日は隔週月曜日に登場する男、横浜の伊藤が担当です。

前回のお話の続きです。

同じ日本の中なのに、自由に都市部に出てこられなかった時代に、なんとか父は横浜に出てこられました。
田舎の隣人のつてで、クリーニング関係の働き口を探していただいたのですが、そこはクリーニング屋ではなく染物屋でした。
まぁいわゆる紺屋(こうや)というところですね。
当時は、洗濯屋とともに染め物や着物の洗い張りを生業にしているお店も多かったのです。

このお店は、よそのクリーニング店に出された品物を外注という形で請け負っていました。
そこで最初の外交とは、同じ同業者のお店を廻る営業だったんですね。

当時の集配作業はもちろん車なんて使いません。
自転車があればいい方。しかも、普通の自転車じゃないのですよ。

ゴムチューブなどの物資も当然不足していたんでしょうか、タイヤが違っていたそうです。
パンクしない事から、「ノーパン」と呼ばれていたそうですが(笑)、固いタイヤです。
子どもの三輪車を思い起こしていただければ、ピンとくるかもしれませんね。

今の様に舗装された道路はほとんど皆無ですから、凸凹道をその固いタイヤで走る訳です。
鶴見から今の中区・西区あたりをぐるっと廻った様ですね。
戦後貧しい世の中で、クリーニング屋さんはとても景気が良かったとききました。
食料も不足して配給もままならない世の中でしたが、あるクリーニング屋さんにいくといつも白いお米で食事をしていたらしいのです。
お店に行くと、「お、来たな。上がって飯でも食ってけ!」と当時では考えられない待遇を受けた事もあるそうです。

次に移ったお店は、普通のクリーニング屋でした。
同じ鶴見にある近所のお店です。
外交に使う自転車は、今の様な自転車に代わっていたでしょう。
廻る相手は、一般のお客様です。

前回の記事の中でも書きましたが、当時は物が何も無い時代。
今でこそ、配達途中に車両が盗まれる事はあっても衣類が盗難に合う事はそうそうありませんが、当時は頻発していた様です。
もちろん、目的は衣類と自転車の両方。

当時の外交スタイルは、自転車の荷台に大きな竹かごを縛り付けます。
その中に、出来上がった品物やお預かりした品物を入れて移動していくのです。
いまでのそのスタイルで外交に廻っている同業者さんを見かけますね、バイクですが。

玄関前に自転車を止めていますと、サッと自転車ごと持っていかれてしまうのだそうです。
今でしたら保障やらで大変なことになるでしょうが、当時は結構そういう事件があったそうです。

アメリカ人の将校の家にも伺った事があるそうです。
その頃のアメリカ人ですから、景気もいいし洗濯物もたくさん出ます。
約束は週に一回の訪問。
しかし父は1回より2回の方が相手も助かるだろうと、半ばサービスのつもりで約束以外の曜日にもお邪魔したんだそうです。
そこでアメリカの合理主義に触れます。

決まった曜日にくれば、品物を出しておく。
他の曜日に来ても品物は出していない。
無駄な事はしては行けない。

相手の事を考えて行動する日本式ホスピタリティがアメリカの合理主義に負けました。(笑)
言ったのはアメリカ人なのか、通訳を兼ねたハウスキーパーだったかは聞きませんでしたが。


昔も今も、お客様の家に訪問するという外交スタイルは、ある意味お客様の生活空間に入り込む事なんです。
ですから、いろいろな逸話も生まれますし、何よりも信用という大きなバックボーンがあって初めて成立する仕事なんですね。

これからも、クリーニングの外交(集配サービス)を上手に利用してくださいね。



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