洗濯の扉ブログ記事

カレンダー

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

カテゴリー

アーカイブ

最新のコメント

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • -
  • -
  • -

外交問題 鵺
洗濯の扉、本日は隔週月曜エントリー男、横浜の伊藤が祭日出勤です。笑

GWもついに最終日になりました。
今日あたりは、おうちでゆっくりと・・を決め込む人が多いのかなぁ。
私たちクリーニング屋さん達は、時期的にも忙しいということで、なかなかGW休みも取れません。
カレンダー通りなんて言うのは、夢のまた夢ですね。

それでも、最近は2連休ほどする同業者さんも増えてきました。
お店は閉めて、中で仕事をするなんてパターンも確かにあったのですが、ここ数年は完全休業が多いですね。
大袈裟な話しではなく、今の時期のクリーニング屋さんは大半が身体が疲れきっていますから、お休みできるのはいい事かもしれません。

さて、休日ですからね。。
前回書いた「外交」について、もう少し続けてまいましょうか。

クリーニング屋さんの御用きき「外交」では、当然のことながらお客さまのお洋服をお預かりします。
中にはブランドもので高価な品物もあるでしょう。
いえ、普通の品物でもお客さまの財産のひとつに違いはないですね。
ただ、第三者的に見た場合、これらの品物が”金目”の物かと言えば、ちょっと意味合いも違いますよね。
それは、現代が物資も豊富で豊かな時代に他ならないからなのです。

今とは環境がまるで違う60年ほど昔、つまり戦後のドサクサがまだ少し残っているそんな時代。
私の父親が経験した外交話をちょっとお話ししましょう。

なぜ、クリーニングの仕事に就いたか、そのあたりからですが・・・
我が家の先代、つまり私の父の代からこの商売を始めました。
農家の次男坊で、戦争から帰ってきてちょっと会社勤めもした事がある父がクリーニング業を始めたには訳がありました。
戦後まだ間もない頃に、愛知県の田舎から横浜に出てきたのですが、やはり一番の理由は都会で働きたいと言う事です。

ところがね、荒廃した都会に人口が流入しましても食料がありません。
そこで、国は地方から都会に移り住む人間を制限していたのです。
制限というより規制ですから、ちょっとやそっとの理由では都会に移り住む事は不可能です。
あ、勝手に移動すればいいじゃん?と思われる方もいらっしゃいますね。
それは不可能なんですよ。
まだ昭和20年代は食料不足が蔓延していました。
配給を受ける為に米穀通帳なるものが発行されまして、それが無いと配給さえ受けられません。
つまり自分の生活圏以外に移り住んだその日から「おまんまの食い上げ」になる訳です。

ですから配給を受けるためにも、合法的に移動が認められなければなりませんでした。
当時の都会には進駐軍が幅を利かせていました。
彼らの生活の世話をする人材が不足していたんですね。

アメリカ人の生活に必要な職業、それはクリーニング。
そこでクリーニング従事者としてとなら、比較的簡単に都市部に移動が出来たのです。
たまたま父の実家のお隣さんに、横浜でクリーニングをされている人がいたんですね。
そこで、頼み込んで就職を斡旋してもらったという訳です。

父は田舎者とはいえ、戦時中は招集を受ける直前まで軍属としてアジア随一の「魔都」上海を闊歩していましたから、横浜に出られて嬉しかったでしょうね。
ところが、現実の日本は物資も食料も足りない窮困生活。
そんな世情の中であった父親の外交エピソード、次回に紹介しましょうね。
2週間後の月曜日をお楽しみに。 

【つづく】

スポンサーサイト
  • -
  • -
  • -

コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック